【短編小説】魔女の息子たち

あらすじ

どこかの世界、どこかの時代、『魔女狩り』に浮かれ騒ぐハロウィン期間の日本、東京。魔女界の中で男の魔女として生まれ育った界《カイ》、双葉《フタバ》、赤星《アカセ》の三人組は、界を中心にとある珍騒動を巻き起こす。

ドタバタコメディ風味の近未来ファンタジー短編小説。



 魔女狩りの季節はいつも隠れる場所に苦労する。人間界に行かなければいいだけの話なのだが、現在ここに出稼ぎに来ている身としては、そう簡単に済ませられる問題ではないのも事実で、結果として息をひそめて真夜中の住宅街をひっそりと歩いている。

 街灯にさえもびくびくしながら、双葉《ふたば》=ジェミニはさっと自分の家の扉の前に立ち、コンコン、と叩いた。

「赤星《あかせ》、いる? 俺だよ。双葉。ドア開けてくれない?」

「どうしたの? そのまま通り抜ければいいじゃないですか」

「馬鹿っ、魔女狩りだぞ、今は! いいから開けて。鍵忘れちゃったんだよ」

「ああ、そうだった。ごめん、ごめん」

 鍵がガチャリと回される音。直後に扉が開き、背が高くほっそりとした体型の優男が現れる。

 双葉は辺りを注意深く見渡し、人間が歩いていないことを確認して家の中に入った。

「ふう、毎年のことだけど、こればかりは怖いなあ。心臓ひやひやするよ」

「失念しててすみません。長く生きてると魔女狩りにも慣れてしまって」

 時々敬語が交じる彼は赤星《あかせ》=スコーピアスといい、双葉と知り合って百年ほどしか経っていないが、いろいろと話せる間柄の、気の置けない友人である。

(俺は最近やっと上級魔女になれたけど、赤星と界《かい》はとっくの昔に上級レベルだもんなあ……)

 誰かと比べたところで仕方のないことを、ウジウジ悩んでしまう性分が、双葉にはあった。自分だって人間よりは遥かに長い年月を生きているので、いい加減どんと構えるような気性の大らかさを見せようと、密かに自分磨きを行っている最中である。

「あれ、そういえば、界《かい》は?」

 先ほどから気配のない人物を探して、赤星に所在を訪ねるも、

「どこに行ったんでしょう? いませんね」

「ずっと家にいたんじゃないの?」

「そうなんですけど、おかしいな。さっきまで僕と二人でゲームしてたのに……」

 二人して仲間の居所を探る。はて、彼は忽然と姿を消してしまったようだ。

 と、双葉の頭に、とてつもなく嫌な予感が浮かんできた。

「まさか、あいつ……」

 すぐさま階段を上り、二階へ急ぐ。赤星もあわてて後についてくる。

 屋根裏部屋に続く南側の居室のドアを開けると、案の定、界=キャンサーが室内階段を使って天窓を開けようとしているところだった。

「お、双葉。おかえりー」

「界! お前なあ」

「まあ、見てなって。人間たちをちょっとからかってやるだけだよ」

 界は悪戯心にあふれた生意気そうな瞳をきらきらさせ、得意げに微笑んだ。

「からかうって、どうするつもりですか!?」

 赤星が心配そうに尋ねても、界は「後でお前らに武勇伝語ってやるよ!」と意気込んだ台詞を残し、さっさと窓から外に飛び出してしまった。

 ふわり、と彼の身体が重力を無視して浮かぶ。

 見事な空中浮遊である。界は身体的な能力を使う魔法を得意とする。これくらいは朝飯前だろう。

「人間たちがいきり立ってる今がいちばんいいタイミングだ」

「やめろって! 魔女狩りのやつら、そんなに甘くねえぞ! 特にここ数年は誰も捕まらなかったから、気合も入ってるって……!」

 忠告も空しく、界は意気揚々と家々の屋根を飛び移って行ってしまった。

「ったく、あのわからず屋!」

 双葉は舌打ちして、窓を閉める。界にはもともと慎重さが足りないのだ。

「十月は魔の季節ですね。ハロウィン週間に魔女狩りも始まるから、秋を楽しむひまもないですよ」

 赤星が深いため息を落とす。外は晴れているのだろう、いつもより輝きを増した満月が煌々と光っている。自分たちは男の魔女のため、月の輝きが強ければ強いほど、魔力も増す。それにより気持ちもハイになることがあって、界もその影響で普段の勝ち気な性格がさらに強く出ているのだろう。

「あいつは人間に悪戯仕掛けるのが趣味みたいなやつだからなあ。何だかんだ言って、人間が好きなんだな」

 双葉が若干寂しげにつぶやいた。界が心配なのだろう。そわそわと落ち着かない様子で部屋の中を歩き回っている。

「どれ、見てきましょうか」

 赤星は子飼いの使い魔を呼び出した。一階に降りて、フローリングの床をはがす。この家には下級の魔物が通りやすいように、隠し部屋などの仕掛けがあらゆる場所に設置されてあるのだ。

 はがれた床の下の抜け道から、にゅっと、赤星の下僕のサソリが出てきた。

「へぇ、何の御用で」

「界の行方を追ってくれないか? 今、人間たちの魔女狩りを混乱させようと外に出ちゃったんだ」

「へぇ、かしこまりました」

 サソリは再び床下にもぐると、仲間の使い魔を呼び出したようで、ザザザ、と複数の生き物が家の下を徘徊する物音が響く。赤星はさそり座の魔女だ。ああいう生物と関わりが深く、生まれた時から契約を交わしているという。

「あ……、呼んでる」

 赤星の脳波に使い魔のメッセージが送られたらしく、彼はいったん目を閉じて、脳の中で会話を始めた。しばらくして、ふっと目を開け、「うーん」と難しい表情を浮かべる。

「界、満月の影響でかなりハイになっているらしくて、遠くの街まで行ってしまったようなんです。やっぱり迎えに行きますか?」

 双葉は「世話の焼けるやつだこと……」と、赤星より一段と深いため息を長く吐いた。

「俺らがとばっちり受けるのも嫌だから、今日は家で大人しくしてる。あいつだからどうせ上手く逃げ切って戻ってくるに決まってるさ」

 双葉の提案に、赤星は(だいぶ彼に手を焼いてますね)と苦笑いをし、友人の案に乗って二人で真夜中のお茶会を楽しむ予定に変えた。


   ◇


 日が完全に沈み切った後の夜空は、例年にも増して冴え冴えとしていた。冷たい風がひゅうっと、魚沼《うおぬま》コウの首筋を撫でる。しんとした夜中の住宅街を歩くのは、魔女狩り同盟に加盟している男たちのみである。ざっ、ざっ、といつぞやの時代の軍隊のように、互いに息をひそめて、緊張と連帯感の空気を敏感に共有しながら規則的に歩く。ただいま魔女を捜し出すための巡回パトロール中である。

「寒……」

 魚沼は薄手の格好で外に出たのを後悔するように身震いした。何となく、この寒気は単なる冷気のためではない気がするが、そこらへんはあえて考えないようにする。

「お前、十月も中旬なんだからダウンくらい着ろよ」

 ベテランの年配者があきれたように、隣の魚沼を見て忠告した。

「夜でもまだダウンは早いかと思って……」

「そこが経験不足の証拠だ、若いの。魔女が活発になる十月の夜は、決まって気温が急降下するのさ。おまけに今日は満月がでかい。スーパームーンだってな。俺もさすがに今年ばかりは気合入れてるぜ」

「あのぅ、魔女って、いったいどんなやつらなんですか? 女?」

 尻込みして聞いてきた新参者に、ベテランは得意そうにうんちくを披露し始める。

「魔女は基本的には女中心社会だ。皆既日食の時にとても魔力の強い魔女が生まれ、皆既月食の時には男が生まれる。この目で見れた人間はいないから確証はない。諸説ある。ただ、そういう話だそうだ。

 魔女は、大昔は人間の手助けをしてくれたりしたそうなんだが、中世のヨーロッパであの有名な『魔女狩り』が大規模に行われてからは、すっかり人間を憎むようになって、それからは人間の前に姿を現さなくなった。どうにも、人間には入ることのできない『魔女界』という世界があるらしく、そこで暮らしているらしいな。で、時々人間の住む場所に現れるらしいのさ。ほとんどがいい話じゃねえ。聞いてる分だけ気分が悪くなるから、深堀りするのはやめときな。

 もともと、日本には魔女も魔女狩りも存在しなかったはずなんだがな。海を越えてこの島国にも流れ着いたやつらがいるらしい。俺たち『魔女狩り同盟』は、この機会を逃しちゃいけねぇのさ」

 ひゅうう、と風が途切れなく吹いている。先程から段々と風圧の勢いが増し、凍えるような体感温度になっているような気がしてならない。魚沼はぶるっと自らの身体を抱きしめた。

「それにしても寒いな」

 ベテランの男は舌打ちして、厚手のダウンのファスナーを一番上まで引き上げた。

 周囲が次第にざわつき始める。十月にしてこの冷風。まるでタイミングを見計らかったかのように下がり始めた外の気温。何か得体のしれないものが近づいているような、虫の知らせにも似た予感が走った。

 魚沼が、こりゃ家の中でじっとしていた方が幸せだったかなと己の行動を後悔し始めた頃。

「魔女だぁっ!」

 突如、誰かが叫び声を上げた。

 はっとして、周囲を注意深く見回す。緩んでいた意識が電流を受けて覚醒したみたいにクリアになる。

 どこだ? どこにいる?

 見通しの悪い夜の街の中、男たちは必死に気配を探る。街灯だけが頼りの闇の深い空間に、異質な存在を見つけ出そうと躍起になる自分たちがいる。これではどちらが滑稽かわからないなと、頭の隅で余計な思考回路が回った。

「いたぞーっ!」

 怒鳴り声が響いた。先程自分と話していたベテランの男だ。

 魚沼は、男の指さした方角へ、顔を上げた。

 それは屋根の上に佇んでいた。

 一目見て、見目麗しい男だと思った。

 顔の形も体型のバランスも実に見事に調和が取れていて、バーチャルショーのタレントでも対等に張れるかどうかわからないほど、その男は美形だった。女子なら骨抜きになりそうだ。鴉の濡れ羽のごとく艶やかな黒髪。瞳は色っぽく、かつ鋭く繊細に光り、何より彼自身から放たれるオーラというべきか、風格なるものがあった。

(魔女……!)

 魚沼の心臓が、音を立てて鳴った。魔のものを初めて見た興奮と、人ならざるものへの恐怖と畏敬の念が、混沌となって胸の内を荒らした。

 一人が、手にした武器を屋根の上の男に向かって投げつけた。

 投げられた武器――簡易ナイフは男とは見当違いの方角へ刺さった。緊張で手もとが狂ったのだろう。魔女狩り同盟は声高々に叫び出した。

「捕まえろ!」

「レーザーガンを出せ!」

 魚沼はあわてふためきながらも、腰に下げていたレーザーガンを持ち構える。これは人間には実害がない特殊な物質でできた光線銃であり、見た目は子どもが遊びに使うような水鉄砲に似た形をしている。が、魔女が苦手とする太陽光で蓄えられたレーザーが装備されており、十分に効果を放つ優れものだ。布団をベランダで干して取り込んだ後に匂いを嗅ぐと日向の匂いがするが、それも魔女が嫌がる匂いのため、取り込まれている。

 屋根の上にいる男は、こちらを見下げてくすりと笑い、挑発するように屋根と屋根の間を飛び回った。

「追え! 逃がすな!」

「男の魔女だ! 気をつけろ!」

 魔女狩り同盟は口々に屋根に向かって威嚇し、ビームを撃ち出す。男はひらりとかわし、およそ人には真似できぬ身軽さで家々の間を飛んで逃げていく。

「あの魔女、空を飛べるらしいな!」

「魔女はだいたい俺ら人間には予想もつかねえことするんだ!」

 仲間たちがやいのやいの言いながらレーザービームを手当たり次第に放出する。遥か昔の時代の、鉛の入った銃弾は、弾がなくなった途端に意味を為さなくなる武器だが、今世紀のレーザーガンにその心配はない。それに相手を殺すことが目的の拳銃とは違い、麻酔銃と同じような効果しかなく、後遺症とも無縁のため、魔女の他に珍獣捕獲の際にも用いられている。

 つまり、自分たち人間に魔女を害するような意図はない。魔女の方が人間を脅すため、正当防衛の手段として魔女狩りを実行しているだけだ。

 魚沼はそういう風に言い聞かされて、今日まで生きてきた。

 すばしっこい動きを見せる魔女を追い回しながら、魚沼は知らずと他の仲間たちから徐々に離れて、路地の奥まった場所に誘導されつつある事実に気づかずにいた。

 ただ無我夢中に、生まれて初めてこの目にした魔女を捕まえるために、レーザーガンを持って走り出す。

 相手の身体能力は目を見張るものがあった。こちらが懸命に走り込んでも、それをゆうに超える跳躍力で空高く飛び、ビームを放てば弄ばれるようにかわされ、背中に羽が生えているのかと疑うほど鮮やかに空中を舞うのだった。そして魚沼の攻撃が外されるたびに、喧嘩を売るかのごとく茶目っ気たっぷりにウインクしてみせる。完全に人間で遊んでいる。むかっ腹が立った魚沼は、周囲の状況も鑑みずに魔女の行方を追って突っ走った。

「待て、魔女め!」

 瞬間、相手の影がふっと消えた。

 消滅、と言葉が脳内に浮かび上がる。男は瞬く間に魚沼の視界から姿を消した。

(何だ、どうなっている!?)

 魚沼は確かな興奮を胸に、慎重に辺りを見渡す。そこで初めて今いる場所が自分一人きりである現実に気づいた。もしかして、誘導されていたのか。弱冠二十歳の青年は自らの未熟な実力に悔しく歯噛みする。

 恐怖と屈辱が心に迫ってくるが、気力で押し殺し、魚沼は恐る恐る近くの建物のそばに寄った。売却されたらしき、かつての住居。買い手がつかずにそのまま不動産屋にも見捨てられ、廃墟と化したのだろう。埃とカビの臭いがきつく立ち込める、崩れ落ちそうなボロ家だった。

 建てつけの意味を為さぬほど壊れた扉が剥がれかけており、中の様子が見えた。

 微かに聞こえる物音と、人ならざる者の濃厚な気配。

 ここに、いる。

 魚沼は意を決して、廃屋の中に入った。

 床が自身の体重で鈍くきしむ音がする。嫌な響きだ。

 ふわりと、香水のような甘い匂いが鼻をかすめた。鼻腔をくすぐる芳しい香り。嗅ぐだけで頭の芯がぼうっと酩酊するような――。

「人間さん」

 くすりと笑う声が聞こえた。

 はっとして目を見開く。いけない、意識をしっかり保て。己を叱咤激励して、魚沼は再度レーザーガンを構えて威嚇の姿勢を示した。

「そんな物騒なもん、捨てな。愚かで可愛い人間さん」

 魚沼はレーザーを撃った。

 鋭い放射線を描いて放たれたビームが男に襲いかかる。が、男は一瞬のうちにかわし、次の瞬間には魚沼の目の前に移動して、レーザーガンを叩き落としていた。手もとに走る痛み。男が魚沼の腕に手刀を当てたのだろう。レーザーガンは地面を転がって二人から遠く離れてしまう。

 男と向かい合う形になり、魚沼は知らず後ずさりした。

 相手は不敵な笑みを崩さない。

「名前、何ていうの?」

 にこりと微笑まれ、魚沼の額に冷汗が垂れた。この状況を完全に手玉に取っている。男は一歩ずつ魚沼に近づき、挑発するように目を細め、口の端を上げ、赤い舌をちらりと出す。

 ぞくりと身の毛がよだつほど、男の笑顔は妖艶だった。

「ひ、人に名を聞く時は、自分から名乗るのがマナーだ」

 かろうじて口から出たのは、情けないほど上ずった声だった。

「ああ、そうだったね。俺は、界。見ての通り魔女さ」

 唾を飲み込む。

 本物の魔女と対峙している事実が信じられず、魚沼は身動き一つできずにいた。一方で界と名乗った男は余裕のある態度を見せ、こちらをからかうような笑みを投げる。

 手のひらで転がされている気がして、猛烈に悔しいはずなのに、魚沼の心の中には男に対する震えるような畏怖の念があった。

(これが、魔女なんだ)

 間近で見るほど、男は美しかった。

 魚沼は思わず名を呼んだ。

「……かい」

「そう」

「……どういう漢字を書くの?」

「世界の、界だよ。君は?」

「俺は……、魚沼。魚沼コウ」

 男の身体から鼻をくすぐるいい香りがしてくる。香水でもつけているのだろうか。とろんとした眠気が襲ってくるような感覚がし、今すぐにでも彼の胸に身を預けて意識を手放したい衝動にかられた。おかしい、自分がこんなに戦意を削がれているなんて。けれどもう抵抗できない。この男から目を離せない。

「魚沼」

 彼が自分の名前を呼んでいる。こちらに手を伸ばし、何かをしようとしている。

(俺は、どうすればいい?)

 魚沼は身じろぎ一つできなかった。

 突然、激しい音が鼓膜を叩いた。

 あまりに大きな音に魚沼は飛び上がった。すぐにそれは部屋の寂れた窓ガラスが外から叩き壊された破裂音だと気づき、はっと顔を向ける。

「伏せろ!」

 誰かの怒声が響いた。魚沼はとっさに身を屈めて魔女から離れる。瞬間、すさまじい光の束が廃屋の中を照らし、目を細めているうちに再び耳をつんざくような衝撃音が聞こえた。

 レーザービームが何本も放たれたのだ。自分のような新人が持っている武器とは桁違いの、性能のいい良品だろう。

 次に視界に映ったのは、床に倒れ伏している魔女の姿だった。

「……界!」

 魚沼は彼に駆け寄ろうとしたが、仲間たちがどやどやと部屋の中に突入し、「仕留めたぞー!」と魔女を縄であっという間に縛り上げてしまった。

「魔物め! 人間を誘惑しようとしやがって」

 一人が気を大きくしたのか、動けない界の腹に蹴りを入れる。「ぐぅっ」と苦しそうな呻き声が界の唇から漏れ、魚沼は仲間を止めた。

「やめてください、暴力は!」

「お前、危なかったぞ。こいつのペースにはまりそうになってた」

 仲間は気が済んだのか、魔女狩りの責任者を呼びに現場から去った。

 向こうから初老の歳に差しかかった、厳しめの顔つきをした男がやって来る。

「魔女は人間をかどわかして自分たちの味方につけようとするのさ。『魔女信仰団体』を見てればわかるだろ。しかし、魚沼。よくやった。魔女の注意を引きつけてくれたおかげで、今年は大きい獲物が捕獲できた。連中も喜ぶだろう」

 男は魔女狩り同盟のリーダーを長きに渡って任されている。名を黒田という。

「連れていけ。男の魔女だ。魔力が強い。気をつけて運べ」

 魚沼があたふたしている間に、界は両脇から身体を持ち上げられて黒塗りのトラックに連行されてしまった。複数のレーザービームを当てられたのが効いているのだろう。いまだぐったりとして苦しそうに息をする界を心配し、魚沼は恐る恐る黒田に尋ねた。

「あの、彼はこの先どうなるんですか……?」

「んん? わしらのお得意先に差し出すのさ。魔女は高値で売れるからな」

「高値……? 売れる……?」

 それは、人身売買ではないのか。

 そう思いかけ、しかし魔女は人ではないので人間の法律が適用されなくてよいのかと一瞬納得しかけたが、すぐに(同じ生き物じゃないか)と反論が生まれた。

(ここ、もしかしてなかなかやばい組織?)

 魚沼は今になって魔女狩り同盟の男たちを疑う心を持ち始めたが、界は哀れにもトラックに押し込まれ、すでに抵抗もできず意識を手放していた。

 さらには魚沼も「手柄だ。お前もこの世界をいろいろ勉強しなさい」と強引に助手席に乗らされ、男たちの護送車に囲まれながら真夜中の街を走っていった。

 後には、人気のないしんと冷えた空気だけがあった。


   ◇


「界の馬鹿ーっ! あいつ、腕なまったんじゃないの!?」

 双葉の絶叫が戸建ての家にわななく。隣で赤星が両耳を塞ぎながら事の顛末を説明した。

「えっと、行き先は東京湾の方みたいで、外国に競り出す闇イベントに界を出品するらしいです」

「まったく、もう!」

 双葉は髪をかきむしり、イライラと部屋の中を歩き回った。

 こうしている間にも仲間は遠い異国へ連れて行かれてしまう。ドジを踏んだところはあきれてものも言えないが、助けてくれた時もたくさんある。今度は自分が彼を救出してやらなければ。

 そう意気込んだ双葉は、

「ちょっと、お前の使い魔貸して」

「ああ、乗り移るんですか?」

「そ、界と直接話せないかやってみる」

 赤星から手渡されたサソリを掴み、自らの額に持っていく。目をつむり、数秒経った後、双葉の身体から力が抜け、一匹のサソリは元気よく床を動き回った。

 双葉を支えてソファーに横たえた赤星は、「思念体になったんですね。僕のサソリは使い魔として長く生きているから、安定性も抜群だと思います。敵に注意してくださいね」と言い置き、界の居場所を伝えた。

「じゃ、行ってくる!」

 双葉はさっそく他のサソリとともに床下を素早く駆け抜けた。「行ってらっしゃい」と赤星の優しい声が聞こえた。


   ◇


 両脇に屈強な男二人がつき、レーザーガンを持って界の身体に向けながら歩くよう指示された。縄で両手首を後ろ手に縛られている界は、大人しく男たちの命令に従い、薄暗い地下通路を歩いている。地下通路、と称するにはあまりにも果てがないほど暗く、陰気な通り道だった。点いている電気といえば、トンネルの明かりに使われているような頼りないパネルの光。ここに長時間いる連中は神経を病まないのだろうか。魔女でなくても抑うつ状態になりそうだ。

「お前ら、太陽の光浴びたいって思わないの?」

「黙って歩け」

 右隣の男が苛立たしげにレーザーガンの先端で界を小突く。構わず「何で悪役って暗い場所が好きなんだろう」としゃべり続けると、煩わしそうに舌打ちが返ってきた。

「魔女は太陽を嫌うんだろ」

「全員がそうってわけじゃねえよ。俺はけっこう日の射す時間帯好きだし」

 実際、界は人間の活動する日中に外出して、彼らに混ざって生活したこともある。双葉からはやめろと何度も注意されるが、こちらに驚いたり、あたふた行動する人間を見ていると、どうも悪戯心を刺激されるというか、構ってやりたくなってしまうのだ。彼らは無力なくせに知能だけはやたら高くて、臆病で、すぐに死んでしまって、それゆえ必死に情熱を燃やして生にしがみつこうとする、何とも愉快でおもしろい生物である。少なくとも界はそう思っている。

 左隣の男がじろじろと界を凝視している。

「俺たちと変わらない姿かたちをしているな」

「まあね。同じ知的生命体ですから」

 右隣が再び小突いてきた。どうも短気な性格らしい。

「無駄な話をするんじゃねえ。お前は売られるんだ。商品らしく大人しくしてろ」

(ひどい言われようだなあ)

 通路を渡り終えた先に、広い空間が見えた。舞台の板の上に似た場所に放り出され、つんのめっているうちにまぶしいライトが界を照らし出す。およそ目を焼かれそうな光を当てられ、視界が慣れるまで時間がかかった。

 人々のざわめきが界の耳をつつく。見ると、目線の下の方に並べられている椅子に、堅気ではない業界の顔つきをした男たちや女たちが、互いに何かをささやき合っていた。「いい男だわ」「魔女は美男美女だらけというのは本当なんだな」「魔法を使われたりしないか?」「やつらは手足の自由が利かないと魔法を使えない。心配することはない」地獄耳の界には人間たちのひそひそ話など筒抜けだ。つまりこいつらは、自分を高値で買いつけるための闇オークションに参加しているのだ。

(ご苦労なことで)

 人間の浅ましさと愚かしさ、飽くなき好奇心には恐れ入る。

「五百万!」

 一人が声を張り上げ、札を高く掲げた。おぉっと場内がどよめく。

(ふざけんな。全然安いっつーの)

 界はふんっと鼻を鳴らす。

 息せき切ったように次々と札が上がり始めた。価格は徐々に値上がりし、みんなが競うように界の値打ちを勝手に決め始める。一千万、二千万とショーのようにヒートアップする人間たちの過激な盛り上がりに、テンションはますます興ざめていく。

 思わず、界はつぶやいた。

「お前ら、ヒマなの?」

 つぶやきで済まそうと思っていた声は思いのほか大きく響いてしまったらしい。場内の空気はしんと静まり、こちらに鋭い視線を投げかける人間たちの目が異様に光って見えた。彼らは怒っているのだ。とんだ逆切れもあるものだ。界にとってみれば、これは魔女に対する立派な犯罪行為であり、賭け事に参加しているここの人間たちは全員処罰されなければいけない。

「魔女を競売に賭けて何が悪い!」

 客の間から野次が飛ぶ。人間の悪癖に、開き直りという厄介な技がある。界は一切動じずに、再び大きなため息をついて彼らをはっきりと見下げた。

「お前らに罪の意識はないのかって聞いてんだよ。自分の娘や妻がどこかの誰かにさらわれて売られたらどうする? 魔女の立場に立ってものを考えられねえのか?」

 会場内から轟きのようなブーイングが響き渡った。

「魔女は人間社会を脅かす! 存在そのものが罪だ!」

「いつ俺らが攻撃してきたんだよ! 少なくとも俺は人間を害したことはない!」

 界は負けじと言い返す。場内も過熱して様々な暴言が飛び交う。

「魔女は魔法を使って人間を危険な目に遭わせる!」

「人間は科学を発展させて他の生物を追いやったけどな!」

 売り言葉に買い言葉の応酬は続き、互いに一歩も引けなくなった界と客たちはそれぞれに悪態をついて、場は一気に喧嘩の雰囲気が出来上がった。

「魔女は空を飛ぶ! あってはならない!」

「そっちだって飛行機で世界中飛んでるくせに!」

「魔女は美形しかいない! ルッキズムの塊だ!」

「ブサイクが僻んでんじゃねえよ!」

「魔女は性格が悪い!」

「それはこっちの台詞だろうが!」

 舞台袖から界を連行した先ほどの男二人が走ってくる。掴みかかろうと迫ってきた一人を、界は己の反射神経だけで軽々とかわした。両腕さえ封じられてなければ、たかが人間の男二人など敵ではないのだが、今の自分は魔法を使えない身である。壇上ですったもんだをくり返す三人に、客は煽りとブーイングを交えた言葉を次々と投げつけた。

「いいぞ、もっとやれー!」

「どうなってんだ、今日の競りは!?」

 現場の雰囲気に気圧されて右往左往する者もいる。界と男二人の取っ組み合いに乗っかって口笛を吹き煽る輩も、そそくさと逃げようとする及び腰のやつらも。

 一人が強烈な蹴り技を界に向かって放ってきた。レーザーガンの銃口で小突いていた方の男だ。間一髪かわしたところを男はすぐさま次の右ストレートを叩き出す。避け切れないかもしれない。殴られるのを覚悟して表情を硬くした界の頬に、しかし拳は当たらなかった。

 男が急に倒れ伏したのである。

「うわっ、どうした!?」

 相方の男があわてた声を出す。その隙に界は二人から距離を取って、何とか両腕を自由にしようと縄を解きに苦心した。

 と、足から腰にかけて生き物が這いずり上ってくるような、くすぐったい感覚が走る。

『界!』

 声は耳の奥の鼓膜に直接響いた。聞き慣れた旧友の顔が思い浮かぶ。

「おお! 双葉か」

『迎えに来たよ!』

 界の足を上ってきたサソリ数匹が、腰にたどり着き、後ろ手に縛られた縄を切り始める。

「ぎゃーっ、サソリ!」

「サソリがこんなに!」

 真下の客から悲鳴が次々と上がった。彼らは有毒生物が怖いらしい。床を埋め尽くすほどの数に戦々恐々と震え上がっている。

 赤星の使い魔であるサソリにとって、縄を切るのは朝飯前のようだ。自然界の生物よりも頑丈な刃で難なく界を手助けする。

 阿鼻叫喚となっている会場内で、界は自由になった両腕を上に向かってかざした。

 黒っぽい玉が両手の間に浮き出たかと思うと、辺りは真冬の気温のように寒々しい風が吹いた。

「俺は天気を操るんだよ」

 言葉を失くして突っ立っている男二人に、界は不敵に笑んでみせる。次の一瞬、両手を前方に突き出し、黒々とした丸い球体を二人に向けて弾き飛ばした。

 シャンパンのボトルが勢いよく開いた音のような、快活のいい効果音が鳴った。

 二人に注いだのは、シャワーのごとく豪快な雨。

 頭の上に、積乱雲に似た灰色の雲が広がっていた。とても狭い範囲内に集中的に豪雨が降り注ぐ。びしょ濡れになった男たちは大きなくしゃみを数回し、自らの身体を抱きしめて雨から逃れようと逃げ回るが、雲はしつこく追いかけてくる。

「ちょっとこらしめるだけだ。今回はこれで許してやる」

 界は舌を突き出し、いまだサソリの大群に悲鳴を上げている人間たちに「バイバーイ」と別れの挨拶を軽く済ませると、舞台上から地面に飛び降りた。

 ひらりと着地し、魔法を使って俊足のスピードで客席の間の通路を走り去る。界の得意技は身体能力を使った物理の魔法と、天候を少しだけ意のままに変える気象魔法である。隣を並んで走っているサソリを介して、双葉が話しかける。

『どこが出口だかわかってるの!?』

「やべえ、全然考えてなかった!」

『そんなことだろうと思った!』

 双葉が大仰なため息をついて界をにらんだ。肩をすくめる友人に、双葉の精神が乗り移ったサソリは再び足元を上って肩までやって来る。

 サソリの胴体が発光し、界の脳裏にイメージ画像のような空間把握図が生まれた。

『ごらん、ここの地図だよ!』

 頭の中に双葉の声が響く。サソリに憑依するだけでなく、界の頭にまで魔法を送る彼の器用さには敵わない。界は心中で舌を巻いた。

 ここはやはり闇オークションの会場だった。魔女を売りさばく人間たちの根城だ。世界の法律で魔女と人間が戦争をするのは禁じられている。そのため双方に危害を加えるようなことは互いにあってはならない。あるとすれば表の目をかいくぐって違法の魔女人身売買を行う、人間の風上にも置けないクズどもの集まる今日のような場合のみだ。

 このまま真っ直ぐ突っ切れば出口が見える。そこを出ると、幾重にも枝分かれした迷路のごとき地下通路が現れるはずだ。地上に出るには関係者しか知らない正しい道のりを行かなければならない。

「お?」

 界は声を上げた。行く手を阻む人影を数人見つけたからだ。全員の手にレーザーガンが握られている。自分たちを仕留めるつもりだろう。

 待つ隙を与えず、ビームが放たれた。

 界は足の先に魔力を集中させ、空中高く飛んだ。軽々とビームの光線を飛び越えた界は人間には真似できぬ素早さで、眼下に迫ってきた男たちの顔面に足蹴りをお見舞いする。ドカッ、と小気味いい音がするとともに男は後方へ倒れた。間近に接近されて混乱が生じた男たちの間に肘鉄、カウンターパンチ、飛び蹴りをそれぞれ繰り出し、武器は明後日の方向へ弾き飛ばされ、敵も急所を当てられてその場にうずくまった。

「じゃあなー」

 界は出口を通り過ぎた。

 次に見えた景色は、またもや視力が悪くなりそうな、ぼうっとした暗闇の地下通路である。灯されている明かりといえば、大昔の豆電球と呼べるほどの頼りない電光パネル。双葉に送られたルートを探して、注意深く辺りを見る。上も下も薄ら寒く、乾いた空気が散漫している埃っぽい空間だった。

『界、この先だよ』

 サソリ姿の双葉が刃の先を示した場所に、界はついて行く。周囲に人の気配は感じられず、慎重に進んだ。複雑に張り巡らされた通路は、慣れている者でなければ会場にたどり着くこともできないだろう。つまりあちらの客は、古くから魔女の人身売買に加担していた輩なのだ。人好きの界でも、ああいう人間には苦い感情しか湧かない。

 界の頭の中には、双葉から送られた脳内映像の見取り図がはっきりと写し出されていた。この迷路をどこからどう行けば地上へ出られるのか、手に取るようにわかる。界は特に苦労せず、複雑な行き方をするルートを正確に辿っていった。

 人間ならば数十分を要する地下迷路を、界は自らの魔法で俊足のごとくスピードを出し、ものの数分で目前にそびえる階段を見つけた。階段の先にはわずかな光と外の匂いが伝わってくる。あれだ。あれが出口だ。

「ひゃっほー」

『界、注意して!』

 突如サソリを介して双葉が叫んだ。

「どうした?」

『魔女狩り同盟が待ち構えてる』

「えぇ? またあいつらかよー」

 うんざりだ。こちらは何も悪いことなどしていないのに。

『もとはといえば界が余計な遊びを考えるからじゃん』

「……お前、俺の心読んだ?」

『読まなくても顔に出てるよ』

 双葉の憎まれ口は今に始まったことではないが、自分の向こう見ずな行動力も同じようなもので、結果、二人は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

 階段の半分まで上ったところで姿勢を低くし、魔女狩り同盟の連中に見つからないよう息を殺して、相手の出方を待つ。

 地上から漏れる光はごくわずかな強さしかなかった。気になって双葉に「ところで、今何時?」と尋ねる。

『明け方五時』

「マジ? そんな経ったの?」

『お前の居場所突き止めるのに、こっちは苦労したんだからな』

 双葉の小言が終わらないうちに界は意を決し、残りの階段を上がり、姿を現した。

 ゆっくり、緊張感を持って最後の段差を上り、魔女狩り同盟の構えたレーザーガンの前にその身を晒す。

 男たちは一様に表情を引き締めて一カ所に固まり、界の動き出しを待っている。

 界たちがたどり着いた出口は、巨大倉庫を模した秘密の地下組織の有名なアジトだったらしい。日の出の前に全員集合とは、何とも気合の入ったお出迎えである。

 頼りなげに揺れる潮の風と、海面の向こうの地平線からわずかに赤くなっていく空を見て、ずいぶん遠くまで運ばれてきたのだなと実感する。

 倉庫に、視線の先に見える海に、海に常駐するさまざまな船。

 界は両手を上げた。

「降参しますよ」

 男たちがレーザーガンを降ろす気配はない。どうするの? と双葉がサソリの姿で視線を送る。

 界はただじっと待っていた。

 数秒の時間が、緊張とともに流れていく。日が昇ろうとしている。暗い海面に光の粒が表れ始める。世界がだんだんと動き出す。新しい一日の始まり。

 界は早朝の時間帯が好きだった。しんとした闇から太陽が出、人々を起こし始める。真っ白な一日が地球上に生きるすべての生物に平等に降り注ぐ。魔女も同じだ。人とは違う次元に生きるものだが、言葉を話し、感情を持つ、限りなく人に近い生き物である。

 それをわかってほしいのだけれど。

 彼らにわかりようもないのなら。

 強行突破するまでである。

 男たちの間から突如「ひっ」と小さな悲鳴が漏れた。

 空気の変化は瞬く間にそこらに伝染し、何かが起きたことをその場にいる全員が敏感に察知する。

「痛い! 痛い!」

 悲鳴を漏らした男が、正気を失くしたように身体の痛みを連呼して転げ回った。不気味そうに男の様子を見つめていた仲間たちは、次第に恐れをなして少しずつ、悶え苦しむ仲間から離れていく。

 動揺が走る連中の中で一際大きな体躯の男が憎々しげにこちらをねめつけ、「何をした!」と怒鳴りつけた。その男も突然にびくりと身体を硬直させ、首筋を抑え苦しく呻き出す。まるで見えない異物が男たちの集団に入り込み、目にも止まらぬ速さで侵食していくようだった。

「クソがぁ!」

 自棄を起こした一人がレーザービームを撃ち出そうとする。が、動きを牽制する声が後方から届いた。

「動くな! 仲間をこちらに渡せ!」

 赤星だった。サソリの使い魔を呼べるだけ呼んだのだろう。辺りには再びのサソリの群衆がザザザ、と男たちを取り囲むところだった。

 八方塞がりとなった魔女狩り同盟たちはそれぞれがサソリの毒に苦しんだり、追い払おうと躍起になったり様々だ。もはや界と双葉どころではない。敵の注意がそれている今を狙って、赤星は界にサインを送る。

「魔女をたやすく扱ったらどうなるか、思い知らせてやるよ」

 ふいに揺れる空気。今までとは違う体感温度が魔女狩り同盟たちをさらなる恐怖に陥れる。頬がひりつくほどの強い風が一瞬のうちに巻き起こっているのだ。男たちの周りにだけ、限定的なつむじ風が発生していた。

 まるで人の奇声のような気味悪い風音が、敵たちの心身を震え上がらせる。逃げ惑うことも抵抗することも敵わず、魔女狩り同盟は全員、界の作り出した突発的な強風によって、勢いよく弾き飛ばされた。

 落ちる先には、港の海。

 派手な水音を立てて男たちは次々と海面に投げ落とされた。

 水の中ではレーザーガンなど役に立たない。そもそも豪風のせいでどこかへ飛んでいった。「冷てぇ!」「ぎゃーっ、溺れる!」「魔女め!」「おい、捕まれ!」と阿鼻叫喚の渦と化した波止場にて、界、双葉、赤星だけが意地悪く笑い合い、颯爽とこの場を逃げ去っていった。

「あれ、そういやお前ら瞬間移動の類はできなかったよな? どうやって来たの?」

「協力してくれる人間がいたんだよ」

 双葉がサソリ姿のまま界の肩にくっついて、答えを述べた。

「魚沼って人でしたよ」

「え、あいつ?」

「お知り合いですか?」

 赤星が指さした先に一台の軽自動車が停まっている。窓から顔を出した人物は、あの時誘惑した青年だった。

「界さーん!」

 魚沼はのんきに手を大きく振って笑みを見せている。界たちは素早くドアを開けて乗り込み、アクセルを踏んだ魚沼を合図に車はけっこうなスピードを出して現場から逃走した。

「界さん、よかった。ああ、会えてよかった! 僕のせいで危険な目に遭わせてごめんなさい! もうあんな連中とは関わりません! 警察も呼びましたから!」

 日本の警察組織は便宜上、魔女と人間との関係を円滑にしたいために、魔女に何らかの危害を人間が加えることを全面的に禁止している。魔女狩り同盟はほとんどが人間世界での反社会的勢力と密接な関わりがある。お縄になる理由は充分なのだ。

「これからは魔女が人間世界で暮らしやすいように、全面的に協力する立場の人たちと接触します。全部、界さんと出会えたからですよ!」

 魚沼は瞳をキラキラさせながら、案外に豪快な運転技術で車を飛ばす上に、魔女がいかに魅力的で蠱惑的で神秘的な存在か、興奮しながらしゃべり続けた。

「……お前、何か余計なことしただろ」

 双葉が界の首筋にサソリの刃をちょんと当てて小突く。

「いてて、ちょっと色仕掛けしただけだよ」

「界は調子に乗り過ぎ」

「それより、いつまでサソリに乗り移ってんだよ。先に元の身体に戻れよ」

 双葉と界の小競り合いが始まり、車の中は途端に馬鹿騒ぎとなる。最年長の赤星が「まあまあ、車内で騒がないでくださいよ」と困り顔で場を諫めた。魚沼は誰も聞いていないのに魔女の魅力のプレゼンを永遠に一人で行っている。各自が勝手に好きな話をして、自由気ままな魔女狩りの季節はこうして過ぎていった。


   ◇


 家に着くと、双葉がリビングのソファーで横になっていた。精神体を飛ばしても長時間肉体が耐えられるのは、彼のちょっとした自慢である。

 サソリが肩から下へ降りていき、界から去って軒下の隠し通路に帰っていく。次いで双葉がぱちりと目を覚ました。

 大きな欠伸を一つして双葉は起き上がり、「界に説教しなくちゃな」と形のいい目を細めて渋面を作る。

「そんな怒んなって」

「界の言えた義理じゃないだろ!」

 双葉は顔を赤くしてガミガミ言い始めるが、そのどれもに自分に対する愛情を感じ、界は心の中が温かくなるのを照れ臭い気持ちで隠した。

 赤星が再び二人の言い合いを「まあまあ」と制し、ホットミルクを作り始める。

「魔女狩りの季節はもう過ぎたし、お菓子がまだ残っていますので片づけましょう。双葉くん、そろそろ血圧上がりますよ。界くんもちゃんと反省して。みんなでお茶して、また実りある明日を迎えましょう。僕らはまだまだ生きているんだから」

 赤星がそうまとめると、二人も何だか落ち着いてしまい、三人でテーブルを囲む。朝が来て、日も高くなった時間帯だが、きっと数十年後も数百年後も、このメンツで何やかんやと騒がしくしているのだろう。魔女は長く生きる。今の時代、ほとんどの魔女が顔見知り同士だ。せいぜい飽きないように、ずっと馬鹿騒ぎをしていられれば、それが幸せというものだ。きっと。

 人間たちが活動する正午近くの日の下、一軒の家からやたらと賑やかな声がしばし聞こえていた。


   



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