【短編小説】リボン

あらすじ

音羽理都《おとわ りと》はリボンや可愛い小物類など、少女や女性が好みそうなキラキラしたものを愛している「少女趣味」を持ち、密かな楽しみとして異性装をしている異性装者《クロスドレッサー》である。ある日、誰もいない教室で一人、イメチェンを図っているところをクラスの女子のリーダー、向田に知られてしまい、からかわれるかと思いきや、話は思ってもみない方向へ転がって――? 自分の好きな格好を自由にやり遂げる、ひとときの青春グラフィティ!


   

 都立青峰《あおみね》高校の制服が自分たちの代でリニューアルされるという知らせは、またたく間に生徒たちの間で広まった。

 音羽理都《おとわ りと》は最初、じゃあ高等部に上がる時にまた制服を買い直さなければいけないのか、余計な金がかかるって言ってた親の気持ちがわかる、と他人事のように感じていたが、いざ真新しくなった制服のデザインを見た瞬間、気分がぶち上がったのだった。

 配られた資料のプリントには、今までの古臭い制服から一新された、モダンな雰囲気を放つブレザー。

 胸元をひときわ際立たせている、深紅のリボンタイは、まさしく赤色が好きな理都にとってこれ以上ないほど、理想的なスタイルだった。

 本当に、美しい制服だ。

 女子だけ。

 そう、女子だけが。

 理都は、一緒に印刷されている男子の制服もチラッと見る。

 こちらも、別にダサくはない。むしろ、いい。体型がシュッとして見えるように巧く計算された、実に見事な出来だ。

 しかし、胸元は、ネクタイ。

 濃紺色の、ほぼ黒に近いネクタイだった。

 理都はそこだけいつも不満である。男子はネクタイ、女子はリボン。女子はネクタイでも変に見えなくて、男子はリボンをつけられない。なぜだ。性差の違いはどこからくるのか。

「リボンつけたい」

 理都は誰にも聞こえないように、ごく少量のボリュームでボソッとつぶやいた。

 理都は、リボンが好きだ。

 その他、ハートマークや、キラキラしたもの、小物類、雑貨類……。およそ「女の子」が好みそうな対象物を、丸ごと愛している。

 音羽理都は、男子だが、可愛いものを身に着けたい。

 誰にも言ったことはないけれど。


    🏫


 理都は自身の性別に違和があるわけではない。男に生まれた自分をそのまま受け入れている。「少女趣味」といわれることが怖いだけだ。

 なぜ怖いのか。

 まず、自分の周りにいる男子は、制服の良し悪しなどこれっぽっちも興味がない。やれズボンの丈がどうとか、アレンジがとか、いちいち気にしない。裸じゃなければいいという程度の認識しか。

 加えて、理都が好きな「キラキラしたもの」にも、興味を示さない。可愛い文房具やシールなど、存在していること自体知らなさそうな関心の薄さである。

 だから、理都がそういったものを好む趣味を知れば、否応なしに「変わり者」認定されるだろう。

 高校は狭い社会だ。人間関係を円滑にするには、まずは周りに埋没することだ。十六年生きてきた人生、理都の世渡り術といえばそれぐらいである。

 理都は今日も、華々しい高校生活を送るでもなく、いっそ地味に過ごしたいという日陰根性を募らせたまま、一日を過ごす。

 登校すると、教室では女子たちが新制服についてさっそく寸評会を行っていた。「このリボン可愛い」「大きさもバランスもちょうどいいよね」「それ! 私も思った―」俺も思った―、なんて台詞は言わない。言った先には地獄が待っている。うわあ、会話混ざりて―、と心の中で女子の輪に羨望のまなざしを向けながら、理都本人は自分の座席に着いて窓の外をぼうっと見つめる。ままならないこの世を憂《うれ》うポーズ。

「音羽―、宿題やった―?」

「ああ、うん」

「見せて」

 図々しく人の課題をねだる理都の友人、江國《えくに》は、鞄からプリントを渡すと我が物顔で奪い取る。自己中も甚だしいが、彼は彼でいいところがたくさんあるため、今のところプラスマイナスゼロ。

 江國は理都の答案用紙をせっせと書き写しながら、器用に口を動かす。

「みんな、制服の話してるなー」

「ああ、うん」

 理都は何気なさを装って江國に同意した。

「どっちがよかった? 前のやつと今の」

「えーっと……、今かな?」

 江國は「ふーん」とつぶやいて、答えを丸写ししたプリントを理都に返した。

「女子はいいよなあ」

 理都はぽつりとつぶやいた。何となく江國には、自分の抱えているちょっとしたモヤモヤを打ち明けてしまいたくなるような、不思議なオーラがあるのだ。

「どうしたん?」

 江國はきょとんとしている。普段は傍若無人なくせに、肝心な時にとても優しく相手に寄り添う彼は、そのマイペースな性格のわりにたいそう周りから好かれる。

「いや、男はスカート履けなくて、女子はスカートもズボンも変じゃなくて、リボンもネクタイも似合うって、ファッションアイコンとして女子は有利だよなあって思っただけ」

「お前、ファッションに興味あったんだ」

「興味っていうか……」

 理都はあいまいに答えを濁す。彼に自分の趣味を打ち明けていいのかどうか、まだ判断はついていない。

 すると江國は一つの提案を出した。

「みんなに見られるのが嫌なら、誰もいない空間で好きな恰好すればいいじゃん」

 寝耳に水だった。理都は、何かの悟りを開いたかのように呆然と目を見開く。

「……そ、そうか。その手があったか……」

「いや、誰でも思いつくかと……」

 江國は若干あきれつつ、「好きな自分でいればいいと思うよ」と理都に答えを示した。

 チャイムが鳴り、担任教師が登壇する。生徒たちが席に着く中、理都はいまだ悟りを得たかのような顔つきでぼーっと友のそばに居座り、担任から注意を食らってあわてて着席した。


   🏫


 放課後、理都は人がまばらになった教室に残った。

 本当は売店に行って、こっそり女子制服のリボンを購入しようと目論んでいたのだが、なかなかこちらの思惑通りに人の数は減ってくれず、売り場には生徒たちが途切れ途切れに来店している。

 仕方なく教室に戻った理都は、さてどうしようと頭をひねる。江國からの助言で行動を起こそうという気にはなったが、いざ人の目があると委縮してしまうのが人情だ。自分に強いハートはない。

 クラスメイトは各々の部活動に行ったらしく、教室には理都が一人残された。ぽつんとなった空間はいつもより広く感じられた。三十ほどある席がずらりと並ぶ景色は、ちょっとした異空間を演出させる。

「リボンつけたい」

 理都ははっきりと口に出した。しんとした教室に自分の声が響き、不思議な解放感が身を包む。気をよくした理都は再び声を大きくして、言った。

「あー! リボンつけて学校行きたいー!」

 ガラッと、引き戸が開かれる音。

 顔を出したのは、クラスメイトの女子生徒だった。

 硬直している理都と、真正面から目が合う。

「……音羽?」

 名前を呼ばれた理都は、蒼白な顔で女子生徒と対峙した。

「……む、向田《むこうだ》」

 向田葉菜《むこうだ はな》だ。女子グループの中心的人物。

 別名、女子のボス猿。向田ボス。

 ――やばい、聞かれた。思いっきり。

 理都は普段使わない脳みそを必死にフル回転させて、窮地を脱出する方法を考え抜いた。

(今のは俺の言葉じゃなくて、演劇の台詞の練習で。いや、誰も信じないだろこんなの。もっとうまい嘘を……!)

「リボン好きなの、あんた?」

 向田は単刀直入に聞いてくる。変に構えないところは彼女の美点だが、今それをやられると反応に困ることこの上ない。

「いや、え、えっと」

 理都はきょろきょろと逃げ場所を探して目をうろつかせる。穴があったら入りたい気分だ。

 だめだ。まったく気の利いた嘘が思いつかない。自分のポンコツな頭は緊急事態の時でもポンコツなままらしい。

「む、向田。これには深いわけがある。俺は決して変態じゃない」

「別に変態なんて思ってないよ」

 向田はしれっと返答し、理都に近づく。身を固くした理都の脇をあっけなくすり抜け、自分の席をあさり始めた。

「忘れ物しただけだから」

 机の中から新品のビニール袋に入れられた、深紅のリボンが出てきた。やっぱり綺麗な色だなと理都は心の中で彼女を羨ましがる。当たり前のように可愛いものを身に着けて、誰からも違和感を持たれない向田の性別が、まぶしい。

 理都がぼうっと自分を見ていたのに気づいたのか、ふっと向田は振り向いた。再びかっちりと目が合った二人は一瞬、無言のまま互いを見つめる。

「音羽」

 口を開いた向田は、しどろもどろになる理都の返事を待たずに、胸元のリボンをピッと外した。

「使用済みのやつだったら、あげるよ。リボン」

「……え?」

 ぽかんとする理都を尻目に、向田はポイっとぞんざいな手つきでリボンを放る。あわてふためいてキャッチした理都に「ナイス」と言い放つと、そのまま教室を出ていった。

「……えーっと」

 リボンが、ある。

 自分の手の中に。

 向田が使っていた例のものは汚れも糸のほつれも見当たらず、まるで新品のように綺麗な形のまま、美しい赤を見せていた。

 心臓がドキドキと脈打つ。突然ふってわいた幸運に、まだ頭が追いつかない。理都は挙動不審になりながらも、一人きりの教室で小さくガッツポーズをした。

 ただ一つ、向田葉菜に自分の趣味を暴露してしまった、想定外の不安だけが気がかりだった。


   2


 理都はひとまずワンピースを羽織ってみることにした。

 GUで購入した黒一色のワンピースは、男の自分が着てもほぼ違和感なく様になるだろうと思い、手に入れたやつだ。

 姿見の前に立ってみると、なるほど、男子が女性ものの服を着ている。けれどダークカラーのためそれほど目に毒ではなさそうな印象を受けた。下にズボンを履けば街へ出てもよさそうだ。

 家にいる間はこの格好でいよう。

 理都はそう決めた。家族は驚くだろうが、話せば受け入れてくれるだろう。

 次は制服である。

 手始めにいつもの男子の制服に着替え、ネクタイを結ぶ場面をリボンに変える。昨日、向田がくれた使用済みのリボンだ。

 ドキドキしながら装着具を外し、襟元に結ぶ。

 出来上がったのは、ブレザーにズボン、深紅のリボンをつけた自分の姿。

 なかなか、いいんじゃないか?

 理都はまんざらでもない気分になった。向田からもらったリボンがやはり存在感を大きくしている。ネクタイよりもこちらの方が、自分に似合う気がするのだ。

 これで学校行きたいなあ。

 そう思っても、自分は男子だ。校則うんぬんより先に、同性からの視線が痛いに決まっている。最悪、仲間外れかもしれない。

 向田は、何のつもりで俺にリボンを渡したんだろう。

 行きつくのは、その疑問だ。あの日以来、彼女と何かしらの進展があったかといえば、まったくない。理都と向田は相変わらず顔見知りのクラスメイト止まりである。それ以上でも以下でもない。謎は深まるばかりだ。

 ひとしきり悩んだ末、理都は普段通りの制服で登校しようと決めた。

 ポケットにリボンをそっと忍ばせて。


   🏫


 朝一番に学校に来たのにはわけがある。

 理都は誰にも見られない時間を見計らい、自分一人だけの教室でリボンをつけてみることにしたのだ。部活の早朝練習で登校してきている生徒を除けば、帰宅部でこんな朝早くに教室にいるのは理都ぐらいの者だろう。

 問題は、誰かに知られたらどうしようという件である。

 理都は慎重に、引き戸を開いて教室に入った。

 部活組はとっくに朝練に出かけたらしく、中は無人だった。心の中でガッツポーズをすると、さっそく自分の席について準備に取りかかる。

 鞄から出したのは、折り畳み式のミラーとリボン、そしてヘアピン。

 どれも色はピンクに水色など、パステルカラーの配色でまとめた。自分を高めてくれる色だ。

 ウキウキしながら鏡を組み立て、手始めに髪の手入れをする。どの角度で髪を留めたら綺麗に見えるか、念入りにチェックして位置を定める。

 理都の前髪は少し長めで、教師に注意されるかされないかギリギリのところでセーブしている。美容院に頻繁に通わないおかげでそうなっているのだが、これはヘアピンをするのにうってつけの理由だなと、理都はほくそ笑んだ。

 五分弱ほどで、髪型が決まった。右側の髪を留め、残りの毛先を軽く流す。ヘアサロンの雑誌でよく見かける髪型である。名前は何というか知らないが、理都もやってみたいと密かに憧れていたスタイルである。

 ふんふんと上機嫌に鼻歌を歌い、ついでに色つきのリップクリームを唇に乗せた。今までの自分より数段華やかな雰囲気をまとった顔が、そこにある。

 最後に、ネクタイを外して、リボンをつけた。

 鏡に映るのは、普段よりいくらかイケてる自分だ。

 これだ。これをやってみたかったんだよ、俺は。

 理都の気分はすっかり上々で、せっかくだしスマホで自撮りでもしようと鞄をあさった。

 教室の引き戸が開かれる音。

 びくりと飛び上がった先に、見えたのは向田葉奈の姿。

 きょとんとした彼女は、理都の今の格好を見ても特に表情を変えず、

「おう」

 と、男らしい挨拶をした。

「お、おう」

 ドギマギしながら、理都は冷や汗を浮かべる。

「リボン、さっそくつけてるんだ」

「お、おお」

「髪型ちょっと変えた?」

「ヘ、ヘアピンを、少し」

「そうなんだ。うん、似合ってるよ」

 向田はしれっとした表情で褒め言葉をかけてくれた。普段は女子とうるさいくらい騒ぐのに、このクールぶりはいったい何だろう。

「あの、あんまり言わないでね。特に男子には」

「別に言いふらしたりしないよ。音羽はこっちの方が音羽っぽいし」

 俺っぽいとは? と疑問が頭に浮かぶが、とりあえずうなずいておく。

「自撮りしておいたら? あ、何なら撮ってあげようか?」

「む、向田が?」

「他に誰もいないよ」

「そうっすね」

 緊張しながら彼女にスマホを手渡す。向田はまるで自分の持ち物のように慣れた手つきでカメラを起動し、こちらにレンズを向けた。

「ちゃんとロックかけた方がいいよ」

「はい」

 とにかく微笑んでいれば良い写真が撮れるだろうと、理都はニコッと笑ってみるが、

「証明写真みたいになると嫌だから、角度変えるね。ちょっと斜めを向いてくれる?」

 向田にあえなく却下された。

 ヘアピンを目立たせる形で顔の角度を決め、「あまり笑い過ぎないで。ちょっと口角を上げる程度」と向田から厳しい指摘をもらいつつ、理都の写真は出来上がった。

「おお……。すごい」

「少し加工するね」

 向田は機敏な動作で画像の鮮度を上げ、後ろの背景をぼかした。

「完成」

「すごい……。ありがとうございます」

 スマホを返され、液晶画面に見るのはいつもの自分ではなく、バージョンアップされたお洒落な男子生徒。

 こういう表情、できるんだな、俺。

 理都は何だか、こそばゆい気持ちになった。

 向田葉奈は、人を撮影するのがとても上手だ。

 全員が彼女みたいに撮れるわけではないだろう。向田は、カメラの才能があるのかもしれない。

「向田、写真撮るの、すごくうまいな。センスあるよ」

 かっこつけて言い、振り返った時には、向田葉奈の姿はとうになく、教室を出て行った後だった。


   🏫


 それ以来、理都と向田の関係はどうなったかというと、まずまずの進展を見せた。

 理都のイメチェン姿が晒されるような事態もなく、毎日は単調に過ぎていった。いっそ肩透かしなくらいだ。

 あれから理都は教室で服装を変えることはせず、人のいない多目的ホールに内緒で入って、一人だけのファッションショーを楽しんでいた。そこはほぼ空き教室になっており、授業の目的で使われる機会もめったになかった。理都は秘密の隠し部屋を見つけたような気分になっていた。

 しかし、自分一人の楽園は、あっけなく終わりを迎える。

「音羽、いい話があるの」

 神出鬼没の向田は、またもや理都の秘密基地を探し当て、天地がひっくり返るような話を持ちかけたのだ。

「文化祭のランウェイ、出てみない?」

 理都は文字通り、ぽかんとした顔になった。およそ自分とは程遠い世界の話が降ってきて、何なら軽く昇天しかけた。

「ラ、ランウェイ……? 文化祭……? 選ばれた人間しか出られない、パリピしか歩くのを許されてない、あのランウェイ……?」

「いや、そんな大げさなものじゃないし」

 向田が否定しても、理都にとっては文化祭の出し物の大目玉、生徒たちが作成した花道ステージに、生徒たちが自主制作したファッションを身にまとって登場するという企画自体、住む世界の違う住人たちにしか入れない話題である。

 理都はとたんに目の前が真っ暗になっていく感覚を覚えた。

「いや、俺は、文化祭はサボる予定でして」

「青春してないなあ」

 向田はあきれたように息を吐いた。

「音羽がメイクした写真、生徒会に見せたんだけどね」

「え、見せた? 嘘つき! バラさないって言ったのに!」

「まあまあ。不特定多数にバラしたわけじゃないから。それで、生徒会長が、けっこういい線いってるから文化祭の目玉企画、これで行こうって」

「はい?」

「音羽、出なよ。ランウェイ」

 有無を言わせない向田の圧力。まるでこちらが断る選択肢など最初からないと言わんばかりに断定された台詞。彼女が女子の集団をまとめるリーダー格なのもうなずける。

 どうしよう。絶対いじめられるじゃん、俺。

 小さい頃から培われた被害妄想力とネガティブ思考をふんだんに使い、理都は絶句した。


   3


 放課後、理都は向田たちの軍団につるし上げられた。

 リンチされたわけではない。が、リンチも同然だ。ほとんど話したことのない男子と女子に囲まれ、巨大メジャーで体の寸法を測られ、身長を測られ(一七〇センチだと暴露された)、股下も測られ、服のサイズも白状させられた。拷問である。

 そして理都にはおよそ縁のない、華やかすぎる洋服やデパートで売られてそうな派手な帽子、ジャラジャラしたアクセサリー、その他諸々を着させられたり脱がされたり、ああじゃないこうじゃないと周囲から着せ替え人形のように扱われた。

「音羽、かっこよく歩いてみて」

 先陣を切って全体を指導している向田が、地獄のような台詞を言ってのける。

「かっこよく……? へ……?」

 理都は直立不動のまま木偶《でく》の坊よろしく突っ立っている。

「モデルみたいに歩いて」

「モデル見たことないし……」

「……テレビでも雑誌でも? ネットも?」

「うん……」

 向田たちは目を白黒させた。そんな人間がいるのかと顔に書いてある。珍種発見、と頭の中で思っているに違いない。

「じゃあ、ここの教室をまっすぐに進んでみて」

 彼女の指示通りに動くが、みんなに見られている緊張からか、いつも以上にかくかくした動きになっているのが自分でもわかった。

「二足歩行に成功したロボット……」

「手と足が一緒に出てる……」

 ぼそぼそと陰口が飛び交う。失礼な。

「音羽、普段の通りにできないかな?」

 向田が注文してきた。

 そうは言っても、人には向き不向きがあるのだ。

 理都は半泣きでかっこよく歩いてみるが、泣きべそ顔の状態で決められても間抜けなだけである。向田たちは「うーん」と頭を抱えてしまった。理都も頭を抱えたい。

「よしっ」

 生徒会メンバーの一人が発声よく声を上げた。長身のイケメンがこちらに熱い視線を送っている。彼は確か、堀《ほり》と名乗ったはずだ。

「特訓だ!」

 何の? とは聞けなかった。聞かなくてもわかるし、聞けるような気安い関係性でもない。

 そもそも、あなたが出演すればいいのでは? イケメンなんだから。

 なんてことは口が裂けても言えない理都だった。


   🏫


 堀はその日からさっそく、福永《ふくなが》という男子を連れてきた。彼も堀に負けず劣らずの魅力的な外見を持った男で、だから俺じゃなくて君たち二人がランウェイ歩いたらいいじゃないと、理都は再びひねくれた。

 しかし気弱な理都に、イケメンに対抗できる術はない。カツアゲよろしく二人に連行され、生徒会の権限で強引に貸し切りにした多目的ホールに押し込められた。

「まず、その猫背を直そうか」

「僕、お金持ってないです」

「いや、そうじゃなくて。猫背を直そうか」

 堀と福永は辛抱強く理都に接した。理都は子犬のごとく震えたままだ。

「取って食おうってわけじゃないんだから、そう怯えるなよ」

 堀が苦笑する。

 二人はそれぞれ簡単な自己紹介をした後、理都を徹底的に指導し始めた。

 平たく言うと、猫背を矯正し、ウォーキングの基礎を叩き込み、最終的に表情の訓練と滑舌の改善まで取り組んだ。

 結果として、理都は身も心もボロボロになる代償に、正しくなった姿勢と若干良くなったプロポーションを手に入れたのである。

「向田、どう? 見られるようになっただろ?」

 福永は向田を呼び出して、生まれ変わった(当社比)音羽理都を差し出した。

「さすが、福永は親の血を引いてるね」

 向田は満足げに理都の様子を品定めする。お前ら人を何だと思ってるんだ、今までの俺に失礼じゃないか、と思っていても口に出せない理都。

「あ、福永はね、親が姿勢矯正のプロコーチなの。ジムのトレーナーもやってる」

 そうですか、どうりで熱の入った指導のわけだ。聞いてないけどね。

「じゃあ、いよいよ着てもらうね。この服」

 結局俺は出演するわけね。ランウェイにね。別にいいけどね。

 理都が心の中でため息を吐く中、向田は手に提げていた大きなバッグから意気揚々と例のものを取り出し、みんなの前に見せた。

 自主制作の、洋服である。

「手芸部が総力を挙げて制作した、ユニセックスファッションです!」

 おー! と歓声が上がる。

 理都もこれには驚いた。

 予想していたよりも遥かに、その服は出来が良く、垢抜けて見えたのである。

 服のフォルムはメンズアイテムだったが、袖と胸元がきゅっと引き締められていて、ところどころ控えめなフリルがあしらわれ、フェミニンな印象も与えている。かつ、下のズボンは腰の位置にスカートのような切り返しがかかっており、なるほどこれはまさしく中性的な雰囲気にあふれた服だと感じた。

 そして、何より。

 襟元につけられた、綺麗なリボン。

 大き過ぎず、派手過ぎず、それでいて洗練された作りの、深紅のリボン。

 結び目に、パールに見立てた乳白色の輝くボタンがついている。

「……リボンだ……」

 理都は思わず、感嘆の息を吐いた。

 全員の視線がこちらに向く。

「あ、いや、えっと」

 なんて言い訳したらよいかわからず、しどろもどろになってしまった理都を、みんなは優しい目で受け止めた。

「似合うと思うよ、これ」

 向田が自信に満ちあふれた瞳を向ける。

 堀と福永も「音羽にぴったりの服じゃん」と言ってくれた。

「これで今年の青コレ最優秀賞は生徒会が取れる!」

 向田の言葉に、みんなが士気を高めた。

 青コレとは、青峰《あおみね》高校コレクション。つまりは生徒たちが主催する、ランウェイのモデルたちに最も美しい服を作成したもの、美しくメイクを施したもの、そしてモデル自身を採点するお祭りだ。評価者は教師たちと見物の生徒たち、一般参加のお客さんなど様々である。立場も趣も違う彼らが、一番いい人に票を入れる。

「……俺で、大丈夫なのかな」

 理都は相変わらずの日陰根性を炸裂させた。これではみんなの期待に応えられないのではないか。考えなくてもいいマイナス思考が理都の頭をめぐる。

「大丈夫だよ」

 向田葉菜が力強く言った。

「だって、音羽はユニークだもん」

 きょとんと、理都は呆ける。

 俺がユニーク? 今のは聞き間違いだろうか。

「ああ、わかるよ。何かお前って、おもしろいよな」

 堀が向田に続いた。周りも同調している。

「こういう、すごく難しい服を着こなせるのって、音羽しかいないと思うんだ」

 向田は意志の強い瞳をまっすぐに向けた。

 そこには嘘もてらいもからかいもない、誠実な態度があった。

 気弱な理都は、まだ胸の内でウジウジと逃げたがっていたが、彼らの自分に対する厚い信頼に、素直に感動していた。

 嬉しかったのだ。

「こいつならできる」と、信じてもらえることが。

 生まれて初めての、心躍る体験だった。

 気づいた時には、理都の口は青コレへの前向きな姿勢で締めくくられていた。

「ありがとう。俺、がんばるよ」


   


 季節は十月上旬。

 残暑の名残がまだ色濃く残る、暑い天気の中、青峰高校の生徒たちは額に汗を浮かべながらも明るい表情で登校していた。

 文化祭本番、初日である。

 青コレは午後一時。昼休憩が終わった頃にスタートする。

 モデルたちが歩く花道ステージは、学校のグラウンドの中心を埋めるように組み立てられている。左右の隅には出演者たちの控え室。ステージを囲むように簡易椅子が並べられ、我先にと陣取った生徒たちとお客さんが談笑をしながら開演時間を待ち遠しそうに気にしている。

「……人人人、みんなジャガイモ、ジャガイモ、ジャガイモ……」

 控え室で綺麗な服に身を包みながら奇妙な呪文を唱えている男が一人。理都である。手のひらに指文字を描き、真っ青な顔で「ジャガイモ、ジャガイモ……」とくり返す様は何とも不気味だ。

 理都の出番は二番目。かなり前の方のため、プレッシャーもひとしおである。

「背筋張らないとダメだよ、音羽」

 向田が力強くエールを送ってくれる。知らず臆病になっていた理都は、はったりでも気丈に振る舞おうと決意した。

 いよいよ時刻は迫ってくる。

 ステージの中央を見る座席には、理都のクラスメイトたちが列挙して押し寄せていた。あの音羽理都がランウェイ出演? どういう風の吹き回し? 明日は槍が降るのだろか、いやいや実はあいつはガラスの仮面の主人公ばりに演技達者で、俺たちに見せているあの地味なオーラはただのフリで、何か大きな裏があって……などと好き勝手に噂し合っている彼らが想像できる。噂を振りまいているのは江國に違いない。あのおしゃべりの妄想好きめ。

 などと邪推しているうちに、ステージは開演した。

 吹奏楽部の華やかな音色に合わせた、観客たちの手拍子。司会者の生徒の調子のよい声。今日だけは俺たち、私たちが主役だといわんばかりの、周りの弾んだ声援。すべてが賑やかで、まぶしくて、輝かしかった。

 一通りのオープニングセレモニーを終え、理都たちモデルは順番通りに一列に並ばされる。

 控え室から花道へは垂れ幕で覆われており、外からは自分たちの姿は見えない。理都は緊張と不安と微かな興奮を胸に、スタンバイした。

 吹奏楽部の演奏が終わり、場内は洒落た洋楽のBGMが流れ始めた。放送部が選曲し、流している。それぞれのモデルに合わせた楽曲を選んでいるので、一人が歩くごとに曲が変わり、場内の雰囲気もさまざまな変化を見せる。

「音羽に合うのは、これね」と、向田たちが選曲したアーティストは、理都は知らない名前だったが、彼らが誠意を込めて選んだ曲だ。信頼している。

 トップバッターのモデルが颯爽と垂れ幕から花道へ出た。自信満々に、胸をぐっと広げて、踏みしめるようにステージを歩く。観客から黄色い声が飛ぶ。モデルは余裕たっぷりに手を振ってみせた。見られることに慣れているのか、貫禄さえ感じられる堂々としたポーズだった。そのまま彼はリハーサル通りに中央ステージから戻って左側のバックステージへ行き、完璧なウォーキングで垂れ幕の向こうへ消えていった。

 続いて、理都が出る。

 スローなバラードが流れる。

 女性歌手の、艶のあるどこか悲しげなビブラートに乗せて、哀愁漂う歌が流れてくる。それでもただ悲しいだけではない、ロマンティックで甘美な声質。テンポはゆっくりでも、不思議な癒しを感じられるような曲だった。

 理都は一生懸命に毅然として歩いた。

 さっきのモデルのような自信などない。今の今まで教室の隅っこにいたような陰キャだった。急に自分を変えられなどしない。けれどやれるだけの努力はした。後はもう、運に身を任せるしかないのだ。

 なるようになれ。

 場内の雰囲気はしんとしていた。失笑はない代わりに、声援も飛ばなかった。観客は固唾をのんでステージ上の理都を見上げていた。まるで声を上げることすらためらうかのように、真剣に視線を注いでいた。

(何か、妙に静かになっちゃったな……)

 やはり、自分はその場の空気を暗くするしかできないのか。自分が目立つのは場違いだったのか。

 気弱で臆病な心が首をもたげる。

 泣きそうになった瞬間、理都は見つけた。

 控え室の袖口から、向田たちが顔を覗かせているのを。

 彼らが自分を見ている。見守っている。

 このまま怖気づいて泣くわけにはいかない。

 彼らに恥をかかせてはいけないのだ。

(よし、がんばろう! ウジウジしてる場合じゃないよ!)

 理都は己の心に喝を入れた。

 胸を張る。顎を引く。視線をまっすぐに。背筋を正し、目線は固定して、迷いのない表情を作れ。

 理都は中央ステージへ着いた。

 堀と福永から叩き込まれたポージングを決め、再び踵を返し、元来た道を戻っていく。

 自分のウォーキングも、ポージングも、たいしたことないのかもしれない。

 けれど自分は、逃げなかった。

 一瞬でも、一日だけでも、陽キャたちの世界へ躍り出たのだ。

 向田たちが作ってくれた、今日だけの特別な衣装。堀と福永が辛抱強く付き合ってくれた時間。

 すべて無駄にすることなく、理都はやり遂げた。

 時間にして数分にも満たない世界。

 バックステージを颯爽と歩き、垂れ幕の向こうへ消えていく理都。合わせて理都のイメージソングもフェードアウトしていく。

 寂しいが、これでいい。これでいいのだ。

 理都は、自分の殻を突き破ったのだから。

 垂れ幕が下り、次の出演者へ音楽が様変わりした頃、理都は一日分の疲労が体にもたれかかってくるのを感じた。

「……つ、疲れたぁー」

「音羽、お疲れ!」

 わっと、向田たちが理都に駆け寄ってくる。

「やったね! みんな見惚れてたよ!」

 向田は輝きに満ちた笑顔で、達成感をあらわにした。

「お前のオーラすごかったぞ!」

「何か、ミステリアスだった!」

 堀と福永が盛り上がってくれる。

(みんな……)

 ふと、理都はこらえ切れず涙を流した。

 一筋流れた涙は次々と目からあふれ出て、彼らに茶化されるまで子どものように理都は泣きじゃくってしまった。

(俺は、少しでも、自分らしく堂々とできただろうか)

 答えはわからない。

 けれど、みんなの反応があれば、それでいい。

 理都の心は暖かいもので満たされていた。


   🏫


 あれから数日。

 理都はクラスの中心的な人気者になったかといえば、特になっていない。相変わらず、無口で、ぼうっとしていて、時々ドジを踏んで、先生に当てられた授業でとんちんかんな回答を言ったりする、いつも通りの音羽理都のままだった。

 しかしもう「音羽? 誰だっけ」なんて言う輩はいないし、「音羽―、ちょっとジュース買ってきてくれ」なんてパシリにするクラスメイトもいない。理都の人権とクラスでのポジションは少しばかり向上した。

 理都は今日も、向田葉菜からもらった使用済みの深紅のリボンを、放課後にこっそり着用している。さらには向田が買ってプレゼントしてくれた色つきリップクリームとヘアピン、目元を少し盛れるクレヨンタイプのアイシャドウをささっと乗せ、江國や堀たちの前で素の自分をさらけ出している。他に誰もいない多目的ホールで。理都たちの秘密基地と化した、青春のたまり場で。

 音羽理都は、女の子たちが「可愛い」と認めるような、キラキラしたものが好きだ。

 いつか、そんな恰好で街中を歩いてみたい。あの時のランウェイのように、これが俺自身を表現するアイテムなのだと、俺はこれが好きなのだと、誇らしく生きたい。

 そんな時代は、きっともうすぐ来るに違いない。

 音羽理都は、リボンが好きだ。

 そして、リボンを好む、自分が好きだ。



   了




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