女の園とミステリー
※自転車の二人乗りシーンがありますが、推奨目的ではありません。
「雪絵《ゆきえ》、乗っていくだろ?」
先輩たちと別れたあと、二人で帰りのスクールバス停留所まで歩いていく途中、碧《あおい》が鞄から自転車のキーを出してニコッと笑った。碧に駅まで送られるのはずいぶんと久しぶりだったので、急な懐かしさが込み上げてきた。
校舎から出て中道を通り、歩道橋になっている渡り道を進むと次は大講堂を右に曲がる。するとようやくスクールバスの停留所と駐輪場が見えてくる。校舎と大講堂の間にバスが行く下り坂の道路を挟んでいるので、校門から校舎までの道は遠い。バスに乗らずに徒歩で坂を下りると軽く三十分以上はかかる。それでも歩いて帰る人がいるのだから、よほどバスに慣れないのだろう。この時期は本来ならよく晴れるので徒歩で通学する人が増えるが、今はまだ春の日差しが届いていない肌寒い気温のため、バスに乗る人のほうが圧倒的だった。
「向かい風で凍えないように、前閉めときなよ」
「うん」
ダッフル風のスクールコートを一番上のボタンまで留めると、ふと碧のピーコート風のスクールコートがうらやましくなった。
「お洒落な人の特権だよね。ピーコートを着こなせる女子高生って」
「雪絵だって似合うと思うよ?」
サドルにまたがった碧の背中に手をまわしながら、私はスカートがはだけないように注意して後ろに乗った。
碧がグン、とペダルを踏み、自転車は緩やかにスピードを上げて発進した。
「ピーコートを着ていいのは、碧みたいな強くてかっこいい女の子だけなんだってば」
私がむくれてそう言うと、碧はすぐさま、
「誰が強いとか弱いとか、関係ないだろ。着たいやつが着ればいいんだ」
と力強い口調で言い切ってくれるので、私は面倒くさい教室の世界を少しだけ忘れることができた。
ダッフルコートは大人しい子、ピーコートはお洒落な子という暗黙のルールがうちのクラスにはある。ひょっとしたら学年中でそう決められているのかもしれないが、教室というのは、はたから見たら些細なことを絶対の決まり文句として掲げるところだ。そこは一つの確立した世界であり、その世界に居続けなければいけない私たちは、名も顔もわからない誰かが何気なく決めた法律に従わなくてはならない。碧はその中に実にうまい具合で溶け込み、私はというと、外れてしまった。周りの子たちが必死に守るカテゴリーを、私はどうしても大事にすることができなかった。そうしてあぶれたものが、カテゴリーからはみ出して独自の世界を行くものが、文芸部というはみ出し者の集落に入るのである。私はまさにその典型だったが、柚子《ゆず》先輩や碧、何よりも雪原藍《ゆきはら あい》先輩は、持っている世界があまりにきれいなため、学年単位で愛されていた。
私は、うらやましかった。焦がれていた。碧は、先輩たちは、いつでも輝いていた。
「ねえ。雪絵ってさ」
ふいに碧が口を開いた。
「なに?」と肩越しに聞くと、下り坂を爽快なスピードで走っていた自転車が、スピードを調整し始めた。頬に当たる風が冷気を含んでピリッとした。
「雪原藍《ゆきはら あい》先輩に、似せているよね?」
私は答えるべきか迷っていた。どんな小さな変化もこの子には一目瞭然なのだ。だって私にも、この子の心境の変化はすぐにわかるから。
「いつから気づいてたの?」
「だいぶ前だよ。だんだん変わっていくあんたのこと見て、嬉しかったんだ。藍先輩も悪い人間じゃないのかもなあって思えたさ」
「藍先輩は、すごくいい人よ」
「そういう意味じゃなくて」
碧は再び自転車のスピードを速めた。
「あんたがきれいになったって、周りの女子が皆ぼやいてるんだよ。風当たりが変わったこと、気づいてる?」
「何となく」
最近それとなくクラスメイトたちが優しいのを思い出して、そうだったのか、と納得する。
「連休明けには雪絵の取り合い合戦かもなあ」
碧はふざけ交じりに笑って、でもそこには冗談など欠片もない真意があった。だとしたら、こんな風にまた碧と二人でいることは可能だろうか。
「あの部に入ってから、髪伸ばしたんだろ?」
「うん」
「三つ編み、似合うじゃん。髪を結ぶと色気が出るよね、雪絵」
「そう?」
碧のおなかで結んでいた掌が、じわっと汗ばんでいくのを感じた。
「結ばずに垂らすことはないの? 藍先輩みたいに」
「あまりやりすぎると、劣化コピーみたいになっちゃうから」
「そんなことないよ。どれだけ似せても雪絵は雪絵だよ」
碧はきっぱり言うと、軽くブレーキを入れながら、下り坂から平地になる道を泳ぐように漕いだ。
「もっときれいになろうよ、私たち」
碧はそうつぶやくとそれきり黙って、歩行者をすいすい避けながら、人通りの多くなった駅近くまで自転車を走らせた。スクールバスの停留場所から大きくそれた、自転車通学者たちしか知らない秘密の近道を通って、線路沿いに出ると、今度はぐんぐんペダルを漕いでスピード競争みたいになった。
私が自分のつり気味に上がった目元とか、丸い鼻とか、薄い口とか、小さな背とかを気にしている間、碧はどんどん走る速度を速めていく。さっぱりした美貌を研ぎ澄ませていく。私はぎゅっと碧をつかんで、落とされないように気を付けた。
バスの着く駅より一つ先の駅に着いた。
「確かに自転車のほうがお得ね」
「でしょ?」
碧と笑い合い、私たちは階段前で別れの挨拶をかわした。
「髪型のリクエスト、していい?」
「いいよ」
私が答えると碧は、
「今度ハーフアップにして。それでクリップとかで止めて。最近二つ結びとか三つ編み多かったから」と早口に言った。
「ロングヘアの子の髪型見るの、好きなんだよね」とも。
ふと碧の顔が近づくと、耳元でこそっとささやかれた。
「藍先輩に感謝しなくちゃね。悔しいけど」
私が正面からじっと見つめると、碧はさっと踵を返して手をひらひら振り、早足に自宅へと帰って行った。
私はしばらく、階段の前で立ち止まっていた。
了
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