雪のお姫様


 あそこの家、やばいんだよ。

 学年中で噂されているその生徒は、南柚子《みなみ ゆず》と近いクラスの子だった。

 女子校にとって噂とは、話のネタの一種みたいなものだ。自分たちの枠にはまらないものを異質だと分かっていて、わざと楽しむ。怖い場所に自ら入って怖いと言いながら出て行く、肝試しみたいな感覚に似ている。

 あの子、あのアイスクリーム店の経営者の娘でしょ? あそこのアイス、毒が入ってるんだって。みんな中毒症状を起こして死んじゃうって話だよ。

 柚子からしてみれば、そんな症状の客が出てきたら一瞬で経営者側としての致命傷になるでしょうにと、そう指摘してやりたかったが、周りの友達は自分を慕っているので下手なことは言えなかった。

 代わりに噂されている彼女を気遣おうと思った。あの子は確か、親族みんなが大企業の経営者だったはずだ。

「雪原《ゆきはら》さん」

 廊下に立ち、白く曇っている窓ガラスをじっと見つめながら微動だにしない雪原藍《ゆきはら あい》に、柚子は話しかけた。

 藍はこちらを向いた。

 ガラス玉のように不安定に揺れる瞳が、柚子の目に入った。綺麗な顔だ。身だしなみも何一つ問題ない。でも他の子と「何か」が違う。柚子は違和感を抱きつつも、藍に笑顔を向けた。

「今日、新シリーズが出たんだね。すごく美味しかったよ。雪原さん家のアイスは外れがないね」

 藍は一瞬きょとんとしたあと、子どもがプレゼントをもらった時のような満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう」


 雪が降り始めた。

 暗い空からみぞれのように降っていた雨が、やがて雪のかたまりとなって落ちてきた。車窓が雪の粒で何も見えなくなり、暖房がフル回転し始めた。乗客の雑音以外は何も聞こえない車両で、柚子はスマホを固く握りしめていた。

『次の駅で降りて』

 送られたメールには新たな命令と、写真が貼付されていた。工場の冷凍室らしき部屋で、棺桶のような大きな透明の箱に詰め込まれた柚子の友人。

 これで九人目。

 恐ろしさと怒りでスマホを持った手から汗が噴き出していた。

 気づくと次の停車駅に着いていたので、あわてて降りた。

 綺麗に掃除されてあるホームだ。待合室の部屋もベンチもしっかりしている。ゴミ一つ落ちていない。いや、それどころかシミらしき汚れも見あたらない。急に不安になり、人の生気がないホームを出て、走るように出口へ飛び出した。

 町は、小綺麗な建物が建ち並び、よく整備された道が続いていた。雪が積もってきて、柚子の靴もとまで届いていた。白い道。あの時の白い窓みたい。

 メールが鳴った。今度は大通りをまっすぐに突っ切れという。

 柚子は藍の言われたとおりに大通りを抜け、指示されるまま住宅街の道に入った。右を行き、左に逸れて、まっすぐ歩かされてはまた曲がり角を行かされる。坂道の多さに驚くが、それより汗が出てきて暑い。でも雪のせいですぐに冷え、疲れのあまり息が上がる。こちらの体力を奪う作戦だったのか、やっと藍の自宅にたどり着いた時には完全に消耗していた。

『最後は貴女』

 藍からのメールはそこで途絶えた。

 柚子は家を見上げた。

 坂の上に建っているため、家の大きさにも、その存在感にも圧倒される。あそこと隣接している鉄筋コンクリートの倉庫が、例の部屋だろう。

 柚子は勇気を出して、藍からのメールに返事を送りつけた。

「どうして私から大事な人たちを奪うの」

 返信はすぐに来た。

『愛とは、奪うものだから』

『私のものになれ』

 雪が吹き付ける。北国の嵐のような強い風に乗って、大雪が横殴りに地面をたたきつけてくる。

 柚子は、死の気配が濃厚に立ちこめている不吉な館を、キッと見つめた。 

 握りこんだ拳に雪片が突き当たる。痛い。冷たい。凍える。でもそれだけじゃ生きていけないでしょう。

「愛とは、捧ぐものよ」 

 鉄の門扉に手をかけ、柚子は勢いよく開け放った。


 その日、関東地方は記録的な大雪だったという。


  了



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