雨の街に帰る【短編小説】

あらすじ

とある梅雨の合間、父親は小さな息子に地元の昔話を伝える。記憶の果てに消えていった仲間たちの話を。どこか物悲しいホラー短編。




 昔の話をしようか。 

 お前が生まれる、もっとずっと前の、遠い遠い、過去の話さ。 

 ほぼ言い伝えと化している、とても不思議な話を。 

 昔のこの街も、今と何ら変わりなく、穏やかな南風が吹く平野部だった。住民の気性も大人しく、荒っぽい輩は特にいなかった。ただ平和主義な分、少々外れものに対して冷たい面があった。それでもあからさまな態度を見せるようなことはない。言葉の端々にちょっとした皮肉を混ぜる程度だ。別に悪い連中じゃない。 

 これから話す出来事は、神隠しの類に入る。 

 小学校に入ったばかりの、二人の子どもがいた。男の子と女の子。二人は家が近所で、入学前はよく遊ぶ仲だったらしい。女の子は活発で、男の子と一緒に外遊びをするのが好きだったそうだ。 

 ある日の登校中、二人は校門前の先生に興奮した様子でしゃべり始めた。 

「先生! 街の中に、もう一つ別の街があったよ!」 

「すごく大きくて、真っ白な家だったよ!」 

 梅雨の時期だった。その年の梅雨は長くて、なかなか日差しが雲間から出てこなかった。気温も低く、およそ六月末とは思えないような肌寒さだった。いわゆる梅雨寒さ。お前の世代じゃ六月が寒いなんてピンとこないだろうな。 

 先生は教育の道を二十年以上続けたベテランの教師だった。二人は同じクラスで、さらに先生は彼らの担任だった。普段から互いの人柄をよく知っていた。 

「二人とも、何を言っているんだい? 街の中に街があるはずないだろう」 

 子どもたちはなおも言い返した。 

「ちがうよ! 本当に、大きな白い街があったんだよ!」 

 先生は困ってしまった。何か夢でも見たのか。二人そろって同じ幻を見るとは。 

 そろそろ始業チャイムが鳴る時間だった。二人を遅刻させてはいけないと思い、先生は早々に話を切り上げようとした。

「二人とも、街の中に街があるなんてことは、ありえないんだよ。そんな嘘はついてはいけないよ。さあ、もうすぐ授業が始まるから、早く教室へ行きなさい」 

 そう言ってから、先生は今の発言を後悔した。二人の子どものキラキラした顔が、みるみるうちに暗くなり、悲しそうに歪んでしまったからだ。 

 胸がチクリと痛みながらも、先生は子どもたちを玄関へ促した。彼らは無言で従い、けれど先生の目を見ることなく、足を向けた。 

「どうして、僕たちが嘘をついてるって、思うの?」 

「先生は、私たちを信じてくれないんだ」 

 二人の言葉が、遠くなっていく背中から聞こえるような気がした。 

 その日の晩、先生の自宅に、緊急の連絡網が入ってきた。 

 二人が、家に帰ってきていないと。 

 大人たちはすぐさま警察に伝え、地元のつながりにも頼って、ほぼ一晩中捜索に当たった。地方だから結びつきも強い。子どもの足ならそこまで遠い場所へは行けないはずだ。最も恐れたのは、誘拐の類。地元民総出の勢いで捜すに捜したが、ついに彼らは見つからなかった。 

 やがて月日が経ち、警察の捜査も打ち切られて、何ひとつ手がかりを見つけられないまま、この事件は神隠しだと言われるようになった。 

 先生は、激しい自責の念を持ち始めた。 

 俺だ。俺のせいなんだ。あの時、二人の言葉を嘘だと決めつけてしまったから――。 

 誰に打ち明けようにも打ち明けられない後悔の念を抱きながら、否応なく時間は流れていった。

  年月は過ぎていき、先生は教師の職を老齢で辞し、家への帰路についていた。 

 六月のことだった。湿気で外の空気は蒸し暑く、断続的に降り続く雨が身体に応えるようになっていた。 

 毎年、梅雨の季節になると、どうしても昔消えていった二人の子どものことを思い出してしまう。忘れたことなどなかった。今どこにいるのか、もし、生きているとしたら、成人している二人は――。 

 心の古傷が疼き出した時、突然、空に稲光が走った。 

 思わず身を震わせて、目をつむり、次に開けると、信じられない光景が広がっていた。 

 街が、あった。 

 雨の勢いはいよいよ激しく、視界さえも奪ってしまいそうだった。その中に、はっきりと、目の前に美しい白亜の街が広がっていたんだ。 

 まさか、と先生は思った。 

 まさか、そんなはずは。 

 けれどそう思う一方で、不思議と安らかな気持ちになれている自分がいた。 

 ああ、やっぱりと。 

 二人の言葉は、真実だったのだと。 

 昔は、笑い飛ばしてしまった。子どもの言ってることだからと、子どもに接する仕事に就いていながら、彼らを考えていなかった。見ていなかった。今なら、信じられる。君たちは正しいものを見、正しいことを話していたんだと、受け入れてやれる。いつだって、俺たち教師は生徒に教えられてばかりだ。あの時、できなかったことを、するだけだ。 

 君たちは、そこにいるのか。 

 君たちに、もう一度、会えるだろうか。 

 俺を許してくれるのだろうか。 

 先生は、傘を地面に置き捨てて、目を奪われるほど綺麗な雨の街の中に進んでいった。不思議と、足取りは軽かった。ひょっとしたら、自分もどこかでずっと夢見ていたのかもしれない。白亜の街。雨の街。 

 その日、一人の高齢者が帰宅途中で消息を絶ったと、警察に通報が入った。 

 捜索願が出され、捜査が開始されたが、現場には傘が一つ置かれていただけであり、それ以外の手掛かりは一切見つけられなかったという。 

 この街に、よくある話。激しい雨が降り続く日、外に出ると、言葉を失うほど美しい白亜の街が突如現れ、見たものの心を奪い、連れ去ってしまうという噂。 

 噂は時を経て都市伝説となり、やがては地元の言い伝えとなって、今もこの地に永続的に語り継がれている。



 お話は、これで終わりだ。ある時代の、ある場所の物語さ。 

 これと似たような話は、日本全国どこにでもある。何もこの地に限ったことじゃない。神隠しなんて、特別な事件じゃないのさ。 

 お前が大きくなった時、まだここに留まってくれるのか、遠い地へ旅立つのかはわからない。ただ、人は永遠に人と繋がっていられるわけじゃない、関わり合えるのはほんの一瞬なんだと、お前に伝えたかったんだ。 

 今日は、少し怖くて、悲しい昔話をしてしまったな。……え、怖くなかったって? お前は強いなあ。かっこいいぞ。あの白い街も、土砂降りの雨も、何ともないのか。それは頼もしいな。 

 お父さんはな、ずっと、怖かったぞ。初めて地元の言い伝えを聞かされた時、恐ろしくて、眠れなかった。俺は雨が嫌いだから、いっそう外の天気を気にするようになったな。 

 ……雨はね、嫌いなんだよ。雨には、嫌な思い出しかないんだ。 

 まだ、お前には、話せないけれど。 

 雨は、お父さんの大切なものを、たくさん奪っていくんだ。 

 今日はこれくらいにして、そろそろ寝ようか。おやすみの時間を過ぎてる。 

 ……うん、お父さんはここにいるよ。お前を置いて行ったりしない。お母さんも、お前も、お父さんの大切な人だから。それに、お父さんはいつでも、見送る側だったし。 

 この家も、この家族も、永遠に一緒にいられるわけじゃない。お前にも、そのうちわかる。だから今この時間を、できるだけ一緒に過ごして、思い出を共有したいんだ。 

 お父さんとお母さんが出会って、お前が生まれたことは、限りある俺の人生の中で、いちばんの宝物だよ。 

 お父さんは、写真をよく撮るだろう? 記憶は一瞬だから、フィルムに残せるだけ残すんだ。時間はすぐに過去になる。過去はいつか宝になる。お前たちとも、いつか……。 

 大人になったら、わかるよ。 

 また話が長くなってしまったな。どうも今日はしゃべり過ぎる。年のせいかな。 

 さあ、電気を消すよ。ちゃんと布団を被りなさい。 

 ……わかった。お前が眠るまで、そばにいるよ。 

 今日は聞いてくれて、ありがとう。 


  おやすみ。   



   了


 



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